僕が最後まで頑張れなかった理由

2015年1月20日 執筆: 赤木 浩二  テーマ:

千羽海崖トレイルレースに参戦しました。

結果、7時間01分185位でなんとか完走しました。直前に捻挫をして出走自体も危ぶまれましたが、走れてよかったです。

コースは果てしなく続く階段地獄と今年は約4kmの磯渡りと石がごろごろした海岸を走るというまるで「部活のシゴキ」のようなタフな内容でした。

階段はもちろん上りも足に負担は大きいですが、捻挫が怖い僕にとっては下りは恐る恐るになってしまいましたね。

そんな気持ちで走っていたから体が自然と後傾になっていたのでしょう。足が揃って下りで見事に転倒、滑ったところに切り株があって膝裏付近を裂傷してしまいました。

ちょっとチクッとしましたが立ち上がり再スタートです。知人や前半でお会いした美ジョガーにもどんどんパスされて置いていかれます。

追いかけようにも足が前に出ません。

「あー、やっぱり最近、サボっているしな」

「試走とか楽しい練習だけじゃダメだな」

「まあ、今回は故障あけだから完走出来ればいいか」

という言い訳を頭に浮かべながらとりあえず、足を前に出すだけの走りを続けたのです。

「そうだ!今回も氷ノ山の時のようにラスト10kmでスパートしよう。まだ力は残っているはず。そこまで頑張るか。」

と気力を振り絞りながら気づくともう残り7km。

「下りが増えてきてたぶん、もうすぐロードだ。ロードに出たら腕を振れば、なんとかなる。」

ロードに出ましたが、スパートどころか3人も抜かれ、終いには「もうすぐですよ!」と各ポイントで応援して下さるスタッフの方にも「もうすぐが長すぎるわ!」と心の中で毒を吐きながら(すみません)フラフラになりながらゴールしたのです。

後半はずっと考えていました。

「あれ?なんでスパートできないのだろう?」

もちろん捻挫で慎重になっていたことはあります。海に落ちて左手首も打撲になりました。左ひざは血まみれでレース中にご一緒した皆さんから「痛そう~大丈夫ですか~」と声をかけて頂きました。

でも足がつって走れないわけではないし、エネルギーや水も足りない状態ではありません。心拍もあがっていましたがレース中はこんなもの。

なんでか、ずっと考えていました。

足大丈夫、心拍問題なし、残るはやっぱり「ハート」でしょうね。

ハート?でも今回、「ラストでスパートしたいな」は考えていましたが・・・・「何時間何分でゴールしたい」という「目標を決めていなかった」のです。

氷ノ山の時は「14時間以内にゴールしたい。だから関門はこれぐらいで通過したい。」というのを決めていました。

だから途中で「このままでは達成できないから残り10kmでスパートをかける」というシュミレーションがあったのです。

今回は前日まで出場を迷っていましたのでいつもの悪い癖で「なんとなくレースに出た。」という状態だったように思います。

もちろん、天気は良かったし、ラン仲間との交流やレース中の出会いも楽しかった。捻挫せずに帰れたことも道中事故にあわなかった事も良かったです。

でも自分の中で「今日はやりきったな」というのはあまりありません。

「無事に帰ってくる事が一番なのでタイムは別に問題ではない。」という考え方もあります。僕も無事が一番だと思います。

でもタイムが大切なのではなく「その数値目標を達成するためには何が必要なのか」を想像する力が重要だと感じるのです。

レースで言うとその時間で関門をクリアするためには「こんな補給がいるな」とか「後半でスパートするためには前半ではこんなペースで行こう」とか、考えて準備することになります。

準備することを継続していくとそのことが習慣となりあまり考えなくても「あたりまえ」にできるのだろうと思います。

また不思議なことに目標を明確にすると必要な情報が急に飛び込んでくるようになるんです。

「今回、14時間で走りたいんですよ。」とラン仲間に話すと「そしたら大体A君が同じくらいだな。どんな感じだったか、聞いてみるといいよ。」とかアドバイスをくれたりします。

そして何しろ、目標があるとないとでは「達成感」がやはり違います。

このように目標があると次のようなメリットがありますね。

・やることが明確になる

・周りから協力が仰げる

・達成感が味わえる(達成すれば)

「さあ、次のレースでは準備を怠らないようにするぞ!」とレースが終わった直後は思うのですが・・・・・・。